ヤクザの息子だった喜久雄が部屋子として、歌舞伎界に生きるが…。
キャスト
吉沢亮さん、横浜流星さん、高畑充希さん、寺島しのぶさん、田中泯さん、渡辺謙さん、他
感想
2025年の夏もようやく終わりが見えてきた頃ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
いつもはこのブログに韓国の作品の感想を書いているのですが、私はこの猛暑のせいか、なんだかドラマを見るテンションが皆無になっていました。
そのため下書きに今も残ったままの6月に観たドラマ1作品を除いて、全然感想を書いていませんでした。
そんな夏を過ごしていた私でしたが、先日やっと(?)話題作の「国宝」を観に行きました。そして映画館を出る頃には、感想を書きたい!!!と久し振りに思いました。
いつもとはテーマがやや異なりますがここに書きたいと思います。
「国宝」が公開された頃は、正直なところ私はさほどこの作品に興味は持てなかったのです。
ですが、実は私は歌舞伎をここ数年ぽつぽつと観に行っていて、歌舞伎の中でも女形の演技を観るのが特に好きなこと(ちなみに好きな役者さんは中村 萬壽さんです!)。
加えて友人から今作をかなり熱心に勧められたことが決め手となり、この夏の終わりに映画館へ向かった次第です。
観終わってすぐの感想としては「観て良かった、面白かった!」です。
やはり多くの人に見られて話題になった作品というのは、普通に面白いお話が多いです。今作もまさにそれです。
まず私がこの「国宝」という映画について、直後の印象としては:
・シーンの変遷が非常に速く、テンポが恐ろしく良い
・気取った作品では一切ない
・意外と昼ドラ風味
・カメラワークも面白くて、シーンが美しい
・上映時間約3時間を全く感じさせない
・「あれはどうして?」と思うシーンが多い
これがまず視聴後のすぐに頭に浮かんだ箇所でした。
「あれはどうして?」とふと疑問が浮かぶようなシーン展開…。これはもしかしてネガティブに取られる方もいるかもしれません。
というのも、私もエンドロール中に若干ネガティブな意味で「それにしても、キャラの心理描写がちょっと少ないのではないかな?」と思っていました。
どうして俊介は…?、どうして春江は…?そもそも、どうして喜久雄は…?とグルグルと疑問頭にが残ります。
この今作の、クセ(?)。
個人的に視聴直後はストーリー展開の速さの犠牲になったのかな…?という印象を受けはしました。
原作が3時間という枠でも収まらなかったからなのもあるでしょう。
そして、とにかく最近の作品の傾向として、テンポの良さが大変重視されていると思いますので、じっとりとなりがちな内面や背景や説明が入るようなシーンを削ぎ落したのかもしれません。
一方で、この語られない「謎」の部分が視聴者の集中力を3時間途切れさせない魔法のようになっていました。
加えて、作品自体に妙なミステリアスさが良い意味でもたらされているなあと感じました。そして観終わった後もこのようにアレコレ考えたりできるわけです。
なので、どのような意図があったにせよ、時間が経過するほどこのキャラについて描き切らない背景については、なんだか面白いなとポジティブに私は感じられています。
ネタバレありの感想や考察など
そんなこんなで、以下、自分が気になって「こうではないか」と勝手に思ったり、面白いな〜と勝手に考察したり、自分で自分を納得させたシーンの解釈などを思いついた順に書いてみたいです。
ご注意として、申し訳ありませんが私は原作小説を読んでいません。全て映画「国宝」を現状1度観ただけの感想となります。(記憶がおかしい部分があるかもしれません…すみません。)
「どこ見てんのよ」
これは歌舞伎界から追放され、あるトラブル後の喜久雄に彰子が放ったセリフです。
個人的には、これが最も喜久雄という”人間”を端的に表現した言葉だ、と私は思いました。
というか、このセリフが出た時に「あっ!」と自分の中での疑問が全て繋がった気がしました。
彼はずっと最後まで、歌舞伎のこと以外「誰も」見てもいなかったと思います。
いつも歌舞伎のことだけなんです。
時として俊介に対してでさえそうだったように、喜久雄の女性関係には顕著にそんな態度が見れると感じられました。
春江、彰子、藤駒と3人の女性と関係を結ぶ喜久雄でしたが、その誰とも人としてきちんと対峙していなかった。
追いかけてきた春江に久しぶりに再会した時、春江に結婚をしようと告げた時、花井家を出る際に彰子に迎えに来させていた時、藤駒に会う時、いつも喜久雄は彼女たちではなく違うどこかを見ていました。
悪魔と取引した喜久雄、芸と自分だけの世界に生きるもの。彼が孤高の美しいバケモノになっていく姿のようでした。
春江の気持ち
なぜ春江はあれほど愛していた喜久雄を”捨てて”、俊介の元に行ってしまったのか?
春江の打算でしょうか?俊介にとっては喜久雄への復讐でしょうか?
ですが、上に書いたように彰子の「どこ見てんの」という発言でしっくりきました。
春江は、喜久雄が「全く別のステージ」で生きている人間だった事実を、代役で演じきった曾根崎心中を見て”やっと”痛感したんだと思います。
刺青まで一緒に入れて、喜久雄だけを追いかけて生きてきた春江。
だけどそんな愛した男はまるで宇宙人のように、自分とは生きる根っこが異なる生き物=バケモノだったと彼の舞台を見て感じたのでは。
同様に喜久雄の舞台を見て、全く同じ気持ちを抱いていたのが俊介だったのではないでしょうか。
2人は(薄々気づいていたものの)突き付けられた事実に向き合えず、喜久雄から逃げ出します。
こんな孤独で恐怖に近い気持ちが理解し合えるのは、世界で春江と俊介だけかもしれません。
シンパシーを抱き、お互い傷を舐め合うように春江と俊介が自然に一緒になったのも私は理解できました。
俊介について
このキャラは私は今作では最も人間っぽいというか、”普通”の人のように感じました。
歌舞伎界のプリンスとして生まれ、驕りもあった俊介。
突然部屋子としてやってきた喜久雄にライバル心を持ちながらも、俊介は意外にも(?)意地悪な人間では一切ありません。
逆にその”生まれ”からくる余裕なのか、喜久雄にも優しいというか、少しお人好しみたいなところがある人ですよね、彼は。
今作で個人的に最も印象に残ったシーンが、代役で大役を務める喜久雄の控室で俊介が彼の化粧を手伝うシーンです。
この大役とは、俊介の父の代役。つまり「(本来なら)血を継いだ自分がやるはずだった」もの。ですが喜久雄が指名されました。
俊介の中には悔しさや怒りがあって当然ですが、初舞台の日に彼はプレッシャーで震える喜久雄に対し純粋に邪の気持ちなどなく、心の底から励ましているようでした。
しかし直後、喜久雄の舞台に彼は愕然とします。
喜久雄と自分は全く「違う」ということに。
この「違う」というのは、芸のレベルとかそういったものだけでなかった。
俊介が考えていたような同志…、喜久雄と俊介はそんな生やさしいような関係ですらなかった。
先ほど励ました喜久雄は、そもそも自分なんて”見てなかった””必要なんてない人”、そんな冷酷な現実を俊介は直視できなかったと感じました。
「血が欲しい」と吐露した喜久雄…彼に必要なものは本当にそれだけだったんです。喜久雄はバケモノだったのだから。
最後までバケモノになりきれなかった俊介の渇望と絶望に胸を打たれました。
血について
今作で繰り返し語られる「血」ですが、色々繋がるシーンがあって面白いなと思えました。
・歌舞伎の血縁・襲名
・俊介が父親と同じ病に襲われる
・隠していたヤクザの血
・血を欲する喜久雄
・喜久雄と娘との再会
・女性の描き方
喜久雄のヤクザの血は、背中にある刺青にも象徴されるように、「逃れられないもの」で興味深かったです。(刺青についても色々考察できると思いますが)
彼が若い頃に興業会社の社員に殴りかかったシーンなどもその血が出ていました。
また歌舞伎界の血を欲していた喜久雄は、彰子と関係することにも繋がります。
個人的に興味深かったのは女性の描き方です。今作では全体的に女性の描写が非常にアッサリしていました。
もちろん主役は喜久雄ですし、エピソードを入れるにも上映時間などの関係もあるでしょう。
ですが、そもそも歌舞伎というものは女性は舞台に立てないという、その事実(血)とも大きく関連しているように思えて、私は興味深いなと思えました。
万菊と喜久雄
万菊を直視できなかった喜久雄でしたが、万菊が床に就いてやっと彼に向かい合うことができるのでした。
万菊が質素な部屋でたった1人でいる理由については、残念ながら多く語られませんでした。
ですが、まるで悪魔と取引した者の最期の姿のようで、きっとそれは喜久雄の将来も同様になるのではないかと予感させられるものでした。
喜久雄が見たかった”風景”、そこにはいつも自分しかいない場所でした。
芸を手に入れて美しくバケモノになった者…そのひどく孤独で孤高な人生が垣間見れるようでした。
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ということで、約3時間の長編作品ですがかなり工夫がされている編集や展開で集中が一切途切れずに観れた作品でした。そこがまずスゴイ。
また、色々と状況やキャラに思いを馳せることができる作品で、私はそこが1番好きでした。出演されている俳優さんの演技も皆さん素晴らしかったです。
気になった方は、是非この映画を観に行っていただきたいなと思います。
それともし今作を見て歌舞伎が気になった方も、是非観に行っていただきたいです!(回し者では全くないですが、私は初めて観た時に感動して泣いてしまいました)
私は原作を読んでみたいと思います。